【世界遺産】 北秋田への探訪シリーズ(1) #39

 


 2021年7月28日、日本国内で20件目となる世界文化遺産として「北海道・北東北の縄文遺跡群」が登録されました。この遺跡群の構成遺跡は全部で17あり、そのうちの2つが秋田県内にあります。遅い夏休みを利用して、この世界文化遺産に登録されたばかりの秋田県鹿角市の大湯環状列石と北秋田市の伊勢堂岱遺跡を見学してきました。


 縄文時代といえば皆さんは何を真っ先に思い浮かべますか。腰巻を付けて石槍を持ってウッホウッホと叫んでいるイメージでしょうか。実際私はそのようなイメージを持っていましたが、今回の見学を通じて全く違う印象に変わりました。

 縄文時代とは今から約15,000年前から約2,400年前の期間を指し、竪穴住居と呼ばれる地面を掘り返したところに人々が定住して暮らしていました。縄文時代の人々は狩りなどをして移動して生活していたのではないかという私の曖昧な記憶もありましたが、縄文土器に代表されるように、壊れやすく移動に適さない土器の存在は定住を示すと考えられています。


 今回見学した大湯環状列石は、縄文時代の中でも約4,000年前の縄文後期の遺跡と言われていて、少し高台に位置し、万座環状列石(最大径52m)と野中堂環状列石(最大径44m)の2つの環状列石を中心に構成されています。作られた明確な理由は誰も分かりませんが、今の研究によればこの環状列石は祭祀儀礼や共同墓地として利用されていたと考えられています。環状列石の中心の石の隣に、日時計状組石と呼ばれるものが置かれ、太陽を利用して時間の感覚を持っていたのだと推測されます。また万座の中心の石と日時計状組石、野中堂の中心の石と日時計状組石を一直線に結ぶと、東では冬至の日の出が、西では夏至の日の入りが一直線になるように配石されていて、かなり高度な知能を持っていたと思われます。


 この環状列石は915年の大規模な十和田湖噴火の影響で火山灰や土などに覆われ、地中1.5mの辺りに埋まっていました。大湯環状列石や伊勢堂岱遺跡からは多数の土器や土偶も一緒に発掘されています。板状土偶や遮光器土偶など芸術性に溢れた土偶や、赤色の顔料となる土から取れる成分であるベンガラと呼ばれる酸化鉄で赤の着色をしたり、漆を塗って色や土器を補強したり、耳飾りやペンダントなどの装飾品を作ったりと、狩猟をしているイメージとはかけ離れて、高度な知能を持ち合わせた文化や芸術性にあふれた人々であったことが想像されます。また土器は土の中の空間に置くことで温度を一定に保つことができるため、栗やトチの実などの食物の貯蔵の役割の他、ニワトコ種子という植物を発酵させるための酒造器として土器を使っていたことも分かっています。土器という道具を、食物の渋みや灰汁を取るための煮炊き用として使う、お酒をつくるために使う、また内側を研磨したり、漆を塗ったり、アスファルトという原料を接着剤代わりにして土器を加工したりと、縄文時代の人々の博識や緻密さには驚かされるばかりでした。


 この縄文後期は気温が数度低下して大規模集落の時代から分散して人々が暮らすようになったと言われています。実際にこの2つの環状列石も葬式やお祭りの際に人々が集まる場所であって、この環状列石に沿って住んでいたわけではないことが分かっています。ただし、単なる集合場所ではなく、祈りはもちろんのこと踊りや演劇などの劇場を兼ねた多目的かつ神聖な空間であったことが、祈りや祭りに使われた発掘品などから分かっています。

 今でも田舎の方に行くと、先祖代々のお墓の前でお盆の時期にみんなで集まって飲食をしたりしていますよね。先祖のお墓に集まってお酒を飲む風習や世界観はもしかしたら定住が始まった縄文時代から来ているのかもしれませんね。領地争いなどの戦争や身分の違いがなかったと言われている縄文時代に生活していた人々の平和で精神的な豊かさを感じることができたことは今回の旅の新たな発見かつ収穫でした。


 次回は大湯環状列石から約2㎞に位置する日本最古のピラミッドにまつわる不思議なお話をご紹介します。


#世界遺産 #世界文化遺産 #北海道・北東北の縄文遺跡群 #大湯環状列石 #伊勢堂岱遺跡 #縄文時代 #土器 #土偶 #万座環状列石 #野中堂環状列石 #環状列石 #日時計状組石 #時間の感覚 #十和田湖噴火 #板状土偶 #遮光器土偶 #ベンガラ #アスファルト #多目的かつ神聖な空間 #平和で精神的な豊かさ #ピラミッド




256回の閲覧

最新記事

すべて表示